http://www.nikkansports.com/ns/baseball/mlb/f-bb-tp2-041207-0037.html
土井プッ(笑)プププププ(笑)(笑)(笑)
土井正三には一生「イチローを見出せなかった男」というレッテルが貼られるんでしょうなあ?。いやこれには間違いなく運の要素も絡んでいるとは思いますが、それにしても運の無い男(笑)。よもや自分が見放した一選手が、アメリカはメジャーリーグのトップスター(しかも、歴代のメジャーリーガーの中でも超一流の)の仲間入りを果たすことになろうとは夢にも思わなかったでしょうからなあ(笑)。
まあどんなにプロ野球を知らん人でも全くわからんということは無いと思いますが、簡単に説明しますと、土井正三とは巨人が日本一9連覇を達成した黄金時代のレギュラーの二塁手だった男です。どういうコネかは知りませんが、その後3年ほどオリックスブルーウェーブの監督を務めまして、かのイチローはその監督時代に入団した選手だったのです。当時はまだ登録名が本名の「鈴木一朗」。高卒の若造が、後に「振り子打法」と呼ばれるあまりに独特なフォームで打っていたためにそれを矯正させようとしましたが、その若造はこれを拒否。直さないと一軍で使ってやらんと土井監督様様が述べたところ、では使ってもらわなくて結構と自ら二軍へ行ってしまったわけです。この鈴木一朗青年は。
で、土井監督の三年間は結局一軍で使ってもらえなかったのですが、監督が仰木さんに変わると状況が一変。仰木監督は(実はこの間二軍で大した成績は残していなかったのですが)鈴木一朗を一軍の一番バッターに抜擢、登録名も「イチロー」と変えました※。ここからの日米両方のプロ野球史上に残る大活躍の数々は皆様ご承知の通り。土井正三は監督時代に、あまりにもV9時代の巨人の話ばかりするために、選手達に陰で「ブイキュウさん」と呼ばれていたりともう散々です。つーか全部自業自得ですがね。その後コーチで巨人に戻りましたが、まだ(当然選手として)在籍していた長嶋カズシゲ君に「あいつ何様だよ。あいつなんかいらねえよ」と言われる始末(笑)。一流のプロ野球選手で、日のあたる場所を歩きながらこれほど悲惨な目に次々と会った人も珍しいのではないでしょうか(笑)。
そして、極めつけはこのイチローの台詞でしょうね。「仰木さんが僕の唯一の師」この台詞が何を意味するかは、上のようなことを知っているプロ野球ファンならもう分かりすぎるくらい分かります。「大切な」でもなく「一番の」でもなく「唯一の」です(笑)。ああかわいそ(笑)。
※プロ野球選手が普段マスコミや球場で表示される名前は、かならずしも本名そのままとは限りません。本人の意向などで結構勝手に変えちゃったりしてます。もちろん表示上だけで戸籍なんかは変わったりしないんですが。よくあるパターンとしてはダサい名前を変えたり、姓名判断で悪い結果の漢字を変えたり、イチローのように(下の)名前をカタカナにしたり…
例)横浜ベイスターズ 石井琢郎→本名:石井忠徳
西部ライオンズ 松井稼頭王→本名:松井和夫
中日ドラゴンズ 山本昌→本名:山本昌広
東京ジャイアンツ 須田博→本名:ビクトル・スタルヒン(これは戦時中で無理やり改名された(笑))
大毎オリオンズ(ロッテの前身) マニー→本名:フランク・マンコビッチ(日本語で名前がヤバすぎるとかなり無理やりな登録名(笑))
ちなみに、かつて中日に腰掛けでちょっとだけ居たディンゴも本名はデビッド・ニルソンです。アテネ五輪でで豪チームの4番打ってましたね。「Dingo」はニックネームだそうですが、もともとは「オーストラリアの野犬」という意味だそうです。そして、別の意味で「卑怯者、裏切り者」という意味もあるそうです。中日ファンの方々に置かれましては実にピッタリな意味ですね(笑)。(こやつはもともとメジャーリーガーだったのが、メジャーリーグはオリンピックで一時的に抜けることを許可していないのでシドニー五輪に母国代表として出るためにその直前の期間だけ日本のプロ野球に入ったんです。そしてその思惑にノコノコとひっかかってしまったのが中日。)