月別アーカイブ: 2005年5月

日記5/31

二日分の着替えを持って、寝不足のまま徹夜に挑みましたが、本日夕方の客先での打ち合わせの結果、もう一日時間がもらえました。というわけで今日は帰ってきてしまいました。昨日も帰りはさくら水産経由でしたが、今日も(泣)。まあ、明日明後日は仮に帰れるとしても終電でしょうからどちらにしろもう金曜まで飲む機会が無いので、ここいらで飲んでおかないと。

しかし、昨晩は寝ようと思えば5時間くらいは寝られたはずだったんですが、早朝5時過ぎくらいから約2時間ほど、ウチのマンションの目の前で大喧嘩がオッ始まりまして、その怒号に起こされてしまいました。家の前は狭い道なんですがそれを塞いだの塞がないので、怒っている方は自分が失った時間はどうなるんだとかもう関西弁でまくし立てておりましたが、そんな2時間もモメるくらいならとっとと行けと。どうも業者かタクシーかが車一台しか通れない道に駐車してしまったために大声関西人が通れなくなってしまったということだったみたいですが。やりこめられている方の声が全く聞こえなかったので状況がイマイチつかめませんでしたが、2時間もモメるような内容でないであろうことは確実。

この喧嘩の最中、そこかしこから「…カタン…」というような音が聞こえてきました。きっとみんな起きて見ていたんでしょうね(笑)。それくらいの怒号でした(片方だけ)。

関西弁でまくしたてられると怖いと感じるものですが、それはそうでもないということは全国からの電話受付を都合9年やった僕はよく知ってます。キレる人は、冷めるのも早い。一番タチの悪い怒り方は、冷静なままグチグチグチ…と続ける人です。東京の人に多いです。これは周りもみんな言ってましたから間違いないと思います。

日記5/30の2

とりあえずは予定どおりな進み方。帰りにさくら水産寄ってきたのも予定通り(笑)。明日は二日分の着替えを持っていかないとね…。

徹夜の夜って、何か色々と食べちゃうんですが、ああいうときにふさわしい食べ物ってなんでしょうね。何故か普段全く食べないスナック菓子とかが無性に食べたくなったりするんですが。良くないですね、ああいうの。スナックよりはセンベイとかがいいですね、きっと。僕は、大きい、醤油味の効いた、堅焼きのセンベイが大好きなんですが。でも、食べ応えがあるような大きなセンベイというのもなかなか無くて。

こんな時間まで起きて、既に伊集院を聞き始めてしまったのでまだ寝られないだろうなあ。このまま明日徹夜かあ(汗)

日記5/30

ついに…!SocketAの前身のSlotAが出たのが1999年6月だったみたいですから、都合6年間ですか。かなり長く持った規格でしたね。

問題なのはウチの環境。現在はMobile AthlonXP 2400+なわけですが、正直何一つ不自由は感じておりません。あえて言えば、mpeg2で録った録画をDivXに再エンコードするときくらい。まあそれだって夜中寝ているときや仕事行ってるときにやらしてるから別にいいし。このままどこも壊れなければ別にそれはそれでいいんですけど、予備パーツが揃えられなくなるのはちと痛い。

まあ、あらゆるインターフェースの規格が変わりつつありますから、あと1年くらいしたら総とっかえしてもいいかもしれませんな。

しかし、サブ機はPentium3-600EBですが、通常の作業ならこれだって充分です。とりあえずメモリさえ512MB積んでおけば不自由はしません。

パソコンはどこまで速くなるんでしょう。そして、その速さにどんな説得力を持たせる使い方がこれから出てくるんでしょう(笑)。「メールができて、ワードとエクセルとパワーポイントが使えて、ネット(WEBブラウジング)ができる」のに充分なパソコンなんてもう何年も前に実現しちゃってますからねえ。多分今年か来年に新しいWindowsが出るんでしょうが、きっとOSを動かすだけで凄まじくCPUパワーとメモリを食うものなんでしょうな。正直、OSの見た目の部分(「シェル」という)なんてどうでもいいんですが…。Windows95&NT4のに戻せるのなら戻したいくらい。現状XPですが、もう全ての視覚効果を切って、いらんサービスも全て切って使ってます(笑)。おかげで2000並みにはなりましたが。ここまでやれば、XPも悪いOSじゃないと思います。初期設定ではあまりにもあんまりですが。結局最新のデバイスに難なく対応できるOSつったらどうしても最新のOSになってしまうので、これからもこういう使い方をしてゆくしか無いんでしょうね。

Pentium3-1GHz程度の処理能力でいいから、とてつも無く静かでとてつも無く電気食わないシステムとかできませんかね。Athlon64もGeodeNXもEdenもPentiumMも、デスクトップとして使うには結局ありあわせのものを使うのでCPUが電気食わなくてもシステム全体の消費電力はそんなに下がっていないような気がします。ウチの電気代をずっと眺めていての感想。

日記5/29の2

当然ですが、月曜からまた仕事。木金と他の人に頼んでやってもらったものもありますが、頼めなかったものもあるわけでしてそれらが僕を待ちかまえております(泣)。まあ、幸い火曜に全て納品するものでは無いですから、月曜はほどほどに帰って(月曜日は飲みたくなる日なのねん)、火曜水曜で何とか終わらせますかね…。ここを乗り切れば少しは楽に…なるのかどうかは怪しいところですが(笑)。

日記5/29

今日もだら?んと過ごしてオシマイ。かろうじて洗濯だの掃除だの買い物だのはしましたが。でも録画は一つも見なかった。また溜まる?(泣)。

どうも体の中から疲れているような感じで、多分ここ数日の食べ疲れなどがあるんじゃないかと思いまして今日はもの食うのを控えようとか朝は思ってたんですけど、

気がついたら色々食ってるし(泣)。まあ、でも胃薬を一緒に飲んでたらなんとなく楽になってきた気が。まあそんなもんですかね(笑)。

日記5/28

なかなか長時間ゆっくりと寝られない体ですが、さすがに昨日は9時間ほど寝てしまいました。そのおかげか、スッキリ。

…のはずでしたが、今日一日の間にさらに2回ほど1?2時間昼寝してしまいました。やっぱり疲れてるのか。まあ、2回目は夕方飲みに行った後でしたが…(笑)。

しかし、昨日一昨日は初めて会った親戚が多かったと昨日書きました。、実は僕は酒がまあ飲める方ですが、両親とも全く飲めないんですね。まるで橋の下からでも拾われてきたような感じなんですが、無くなった祖母を含めてそちらの兄弟は大酒飲みばかり。実際一番下の弟さんが来ていましたが、71歳にして始終飲んでました。ああよかった(笑)。

日記5/27

今日の夜9時ごろ帰ってきました。何だか昨日の朝に家を出たとはとても思えないくらいに疲れました…仕事で相当残業したってここまで疲れるもんじゃないです。

今日は火葬、そして告別式。昨日は夕方からのお勤めでしたが、今日は朝から大忙しです。出棺のときは柩をかつぎ、なんやかんやと雑用をこなし、告別式の受付をして、そして昨日葬儀屋に言われた、

「この地域では、親戚を代表してお孫さんにお別れの挨拶をしていただくのですが…」

孫って、ここに来ているのはワシと妹だけじゃん!じゃあワシかいな。そりゃあやりますよ。今朝ホテルを出る前に、父親とあーでもないこーでも無いと文章をひねり出して、何とか挨拶。親戚一同&ご友人の総勢約50人の前で、堂々と?お婆様にお別れのご挨拶を述べました。

喪主だったわけでも無いのに、遺族側になってみると葬式というのは本当に忙しいものだということがとてもよく分かりました。まあ、でも、ただ悲しみに打ちひしがれるよりは、何かと動いている方が良いのかもしれません。死者は現世には戻ってはこないのですから、来ていただいた皆様の相手をして、全てが終わってからゆっくり回想すれば良いことです。

孫の挨拶に加えてもう二つほどつ東京での葬式と違っていたのは、まず一つは全てが斎場で済むのでは無くて、斎場はお通夜と翌日の出棺だけ、その後火葬場へ移動して火葬、収骨し、さらに今度はお寺へ移動してそこで告別式を行うということ。これも疲れることになった原因の一つに違いありません。何せこの3ヶ所のお互いが全て市内とは言え結構な距離がありましたし。もう一つは、告別式をやるお寺につくと、親族がそれぞれ
お供え物や位牌、遺影など計10アイテムほど?を一人一つ持って行列をしてお寺に入るということ。あの世で食べ物に困らないように、おにぎりと団子、お茶1杯に水1杯。卒塔婆に花束、おにぎりと別の椀飯、後は忘れました(泣)。そして、火葬の柩には、「お小遣い」という名前で呼んでいましたが多分三途の川を渡るためのお金?を。

また、お通夜の後、火葬が終わるのを待っている間、告別式が終わったあとの法事(会食)と、やたらとものを食う場所が多いのも。僕のようなデブは目の前に食べ物があるのにそれを食わないということはあり得ませんので(笑)、食い疲れもしてしまったでしょう。

疲れきって、帰路へ。石巻から仙台は、仙石線というローカル単線電車に1時間20分ほど乗らなければなりません。ちなみに、仙台から新幹線に乗るとほぼ同じ時間で東京に帰ってこられます(笑)。始発駅ですから充分座れることは座れるんですが、グッタリと疲れ切って乗っていて仙台まであと2駅というところで人がドヤドヤドヤ…。まるで東京並みのラッシュ。何事かと思ったら、その駅はフルキャストスタジアム宮城のある駅だったんですね。そして、今日は雨天中止。ちょうど中止になって人々が帰るところにハチ会わせてしまったというわけで。まあこっちは座ってはいるわけなんですが、それでもこんなものを見せられたらさらにグター。

明日が土曜日で、本当によかった…。

日記5/26

そんなわけで、仕事を休んだにもかかわらず仕事以上に慌ただしい日でした。若いモンが僕と妹くらいしかいなかったもんですから、二人で受付をやったり、何かと雑用をこなしたり。もともと母方の祖母は数える程も会ったことはありませんでしたが、それを差し引いても悲しむ暇もありません。お通夜がすべて引けた後に父と妹と3人で居酒屋に入って、石巻の海産物を堪能できた時点でやっと落ち着きました。

ずっと受付をやっていたのでゆっくりご焼香もできませんでしたが、ご冥福をお祈りします。

日記5/25

今朝、母方の祖母が亡くなりました。数ヶ月前からもう危ないと言われていて、先月でしたか、石巻に行ったのはまだ存命のうちに会っておこうというためだったんですね。

そんなわけで、明日明後日はお葬式です。もしかしたら何も書けないかもしれませんが、ご容赦を。

日記5/24

ちゃんと4時過ぎに起きて徹夜の元となった仕事は終わらせましたよ。終わったのはボチボチ皆が出勤してくる8:35でしたが(笑)。そんな感じで、まあ3時間は寝れましたから徹夜というにはほど遠いし今日も一日頑張んべ、とか思って新しい日をスタートしてはみたものの、やっぱりトシのせいか(泣)。

そんな日でも某お客様へ出向かなけりゃいけなかったりして、そんなもんでついでに某よこ家でお昼食べたりして。今日の日替わりはペペロンチーノ。ここのスパゲティを食べたことが無かったもので、これを。

…いつもと同じ¥880を取るのに、ちっこいサラダ(これはランチ共通)とドリンクと、とても多いとは言えないスパゲティだけか!と内心憤慨していたら、メイドさんが「よろしかったらご飯とおみそ汁もおつけいたしますので…」。そういうことか(笑)。いや本当は食べたかったですがね。昨晩0時半ころに大盛り¥600のつけ麺(ツユ薄い)を食べたっきりでしたから。でも、このラインナップの中でゴハンとミソ汁をオメオメと頂いてしまうと負けだとかよく分からない理性が働いて、その辺は頼まずに食べました。夕方にそれをとても後悔しましたが(泣)

カレーライスでもゴハンだけはお代わり自由とか「とりあえずデブオタは何か食わしときゃおとなしくなるだろう」という、実に正しい店です(笑)

スパゲティにライスとかは、中島らもとか東海林さだおのエッセイを読んでいれば全く驚くには値しません。「ヤキメシライス(チャーハンをおかずに白飯)」とか「ライスライス(醤油かけゴハンをおかずに白飯)」が平気で出てくる世界ですから(笑)。東海林さだお氏が学生の頃に定食屋にあったという「ソーセージ定食」は是非食べてみたいものです。「ソーセージ」というのはもちろん魚肉ソーセージですよ。

夕方はとっととおさらばするつもりだったんですが、気がついたら22時とか。こうなりゃもうヤケで、倒れるほど飲むしかありません。いいかげん顔を覚えられているであろう西巣鴨のさくら水産へ。

というわけで、倒れるほど飲んできました(笑)。まだ倒れてはいませんが。あそこの「豚肉とキムチ炒め」をはじめて食べたような気がしますが、この名前のどこにも入っていないモヤシが全体の体積の2/3を占めるという、JARO確実な食べ物でした。まあ、全体のボリュームはあったんでそんな状況でも豚肉とキムチはしっかり食べれましたけど。それ以上にモヤシ…(好きだけどね、モヤシ)。