日別アーカイブ: 2011/10/16

10/13 宮古

旅も4日目。考えたら、2泊以上するのって2年ぶりだったんですね。
あの時は青森&函館5泊6日。青森もまた行きたいなあ…

この日の夜をどうするかずっと迷っていて、結局盛岡に
泊まることにしました。まあ、盛岡に泊まるくらいなら別に
そのまま新幹線で帰ることも十分できるんですが、
もともと5泊6日の予定だったのが3泊4日ではアレだなあ…と
思いまして、半ば無理やり泊まることに。

せっかく宮古に来たので、浄土ヶ浜を見に行くことにしました。
バスに乗っていきますので、途中町の様子も見られるでしょうし。

平日の朝に、観光地に行くバスなどほとんど乗る人もありません。
僕を入れて3人。途中で乗る人もまばらで、最初から最後まで
乗ったのはこの3人のみでした。
僕以外の2人は「おじいちゃんと孫」といった体でしたが
あれも何故こんな平日に?

浄土ヶ浜まで20分くらいの間、やはり海沿いを通っていきました。
確かに津波の被害を受けている地域はあるんですが、
釜石に比べたら圧倒的に少ないように見えました。
ちょっとした湾の作りの違いなどで、
津波の威力が相当変化するということでしょうか?

浄土ヶ浜も津波でかなり瓦礫が出たようですが、
今は完全に綺麗になっていました。

天気があまりよくなかったのが残念…
真っ白の砂で、海の水も透き通ってて、
確かに極楽浄土に例えるくらい綺麗な場所だったんですが。
天気があまりよくない中で綺麗に写真を撮れるほど
僕には腕が無かった。

またバスに乗って、駅前に戻ります。
帰りのバスがほぼ僕一人だったので、
バスの中から被災した地域の写真を撮りました。

このガソリンスタンドは海岸から道路一本隔てたところに
あったものですが、ダメージの喰らい方からして
一体どれだけの高さまで津波が来たんでしょうか…。

ずっと見てきた中で、瓦礫が片付けられて平野になったところは
大体、既に雑草が生えていました。
津波をかぶったわけですから塩も相当含んでいるでしょうに、
グングン生えてきています。雑草は強い。

ここまでで、旅の目的は達成しました。
本当ならあとは帰るだけですが、盛岡のホテルも取ったので
まずは移動。

山田線に乗りたかったんですが、基本的に朝と夕方しか
走っていないようです。ほぼ通学用ですね。
そのかわり、バスが宮古~盛岡間を1時間に1本走っていますので
こちらの方が便利ですね。12時だとバスしか選択肢がないのでバスで。

前に書いたように、電車もディーゼルな上にルートが
電車バスでほぼ一緒なので、乗客数が少ないときはバスの方が
効率いいんでしょうね。本当は電車に乗りたかったなあ。
鉄ちゃんではないので、まあ別に日本の電車を乗りつくすとか
そういう目標とかは別に無いですが。

このバスは、型としては観光バスですが事前に乗車券を買うのではなくて
整理券を取るタイプ。なのに、途中の道の駅でトイレ休憩があったりします。
こういうのは初めてですね。

山間部を2時間走って盛岡へ。
盛岡は3回目ですが、結構久しぶりです。7~8年ぶり?

駅前は結構綺麗になったような…。
まあ、記憶があやふやなので何も変わっていないかもしれませんがw。

駅の地下で冷麺食べて、
宿に入る。一ノ関の居酒屋で会ったおばちゃんに
盛岡でオススメの居酒屋を聞いていたんですが、
なんとこの宿の向かい。もう動く必要もない。

夕方になるまで風呂入ったりして、
いざ居酒屋へ。
どんこのサシミ、ラム焼き、サンマ塩焼きに
カキの雑炊…。何とここにもホッピーが。
やっぱり黄色のラベル。

そして、あさ開寒造り純米吟醸。
本当はもっと行く先々で地元の日本酒を飲もうと
思っていたんですが、中々いいのに当たらなかったり
地元の日本酒を置いていない店だったりで、
ようやく飲めました。

これで、旅はおしまい。後は泊まって帰っただけですので…。

やはり、自分の目で現地を見に行ってよかったと思います。
僕らが食らった地震もかなり大きかったわけですが、
それでも目の前で人や建物がなくなっていくような目には
会わなかったわけで、どうしても実際に被災された人の
感覚とは同じにはなれない。

まあ、半年経ってかなり片付いた状態ではありますが、
いやむしろ片付いた状態だからこそ、
本当にあたり一面何もなくなってしまったのを見て、
やはりまだ何も解決していないのだと。

だから、まだまだ忘れてはいけません。

10/12 釜石~宮古

3日目は、一ノ関から花巻経由で釜石、
さらに釜石からバスで宮古を目指します。

当初は釜石に泊まって宮古は4日目の予定でしたが、
宿が全く取れなくて、宮古で何とかホテルを確保できたので
この日のうちに宮古まで移動することにしました。

昨日の反省(早く着きすぎた)をふまえて、
この日はゆっくり出発。10:27に一ノ関を出て、
花巻で釜石線に乗り換え。釜石に13:21着。

宮古へ行くバスは14:40発なので1時間ちょいしか
時間がありませんが、町を見るだけならそれで十分だと
昨日分かりましたので、この予定で行動開始。

宿で朝ごはんは食べたけれど、一ノ関駅のホームに
立ち食いそば屋があるのを昨日確認しましたので
これは食べずにはおれない。

天玉そばをいただきました。おいしかった。
朝ごはんにそばもいいよね。

花巻まで東北本線で1時間。
かつて18キップで函館まで行ったことがあるので
ここは通ったことがあるはずなんですが、
まあ記憶にございません。
一ノ関も乗り換えで一時間くらい待ったはずなんですが
これも全く覚えていない…。もう10年くらい前だしなあ。
ここで40分ほど乗り換えの電車を待たなければいけなかったんですよね。
駅から出ることもできないのが。

で、釜石線に乗り換えまして快速で1時間半。

釜石の駅は、気仙沼と比べて随分と立派です。
駅前に大きな市場とモールみたいな施設がありますし。

これらの建物も、また駅正面には新日鉄釜石のかなり大きな
工場があるんですが、こちらも見た感じは全く問題がありません。

海のほうまで歩いて行こうと思ったんですが、
こちらはバスに乗るまでの一時間半では少し時間が足りないことに
気がつきまして。まあ、多分バスのルートが海沿いになるので
町を見るのはバスで行けるなと。

駅前の施設の中の食堂で昼食。
刺身定食をいただきました。イカがおいしかったなあ。

その後は、観光施設の中で少し買い物をして、
バスを待ちます。

10分くらい遅れてきて、少し焦りました。
何せ宮古の宿を取っているのに、大体の交通手段といったら
花巻に戻って、盛岡に出てそこからまた山田線…。
6時間くらいかかるわけですから。

まあ結局問題なくバスに乗れて、
道の駅やまだまで一時間。釜石から宮古までは
一本のバスでは行けなくて、この途中の道の駅で
別のバスに乗り換えなければならないんですね。

この釜石から道の駅やまだまでの道中の景色が…。
鵜住居(うのすみか)という地域を通ったのですが、
どうやら近辺で一番被害が大きかったところだったようです。

あたり一面、何もない。いや正確に言いますと
住宅の土台のコンクリだけが整然と残っている平野。

瓦礫は数カ所にまとめられていたので
本当に家の土台以外「何もない」んです。
瓦礫の山だったときも相当悲惨な有様だったでしょうが、
ありとあらゆるものが全てなくなってしまった現状も
かなりショックを受ける光景でした…。

このバスには、住人の方がたくさん乗っておられたので
写真は撮りませんでした。まあほぼ年配のおばちゃんばかり
乗っていたなかでこのオッサンが居ただけで十分
違和感あったと思いますが…。完全に不審者よね。

そして、その何もないところにポツリポツリと
バス停があって、おばちゃん達はそこで降りてゆくわけです。
どこかに仮設住宅ができているんでしょうが、
多分バス停から結構歩かなければならないのではないでしょうか?

皆さんが持っている荷物は、普通の買い物。
我々が近所のスーパーで買っているようなものを、
日に数回しか来ないバスで30分乗って
(さらに結構歩くのでしょう)買いに行っています。

そんな中でも、例の仮設のローソンが何箇所かはありました。
それ以外にも仮設の店舗がいくつか。
たまたま近所でこういう店舗ができた人はいいでしょうが、
それ以外だとこうやってバスに30分以上乗って
買い物しなければならないんでしょうね。

車もなくなってしまった家が多いでしょう。
元から車がないと生活できないような地域でしょうが
さらに厳しいでしょう。

1時間ほどで、道の駅やまだに到着。
ここで1時間待って、次のバスに乗ります。
ここらは高台にあるので、周辺の家々も含めて被害は
無かったように見えます。

ここまで見てきましたが、
「津波で壊れた家」はたくさんあれど、
「地震で崩れた家」は全く見ていません。
トタンでできているような相当オンボロの建物でも
普通に立っています。
一体日本の家屋はどれだけ丈夫なんでしょうか。

そして、そんな丈夫な建物を跡形もなく流してしまったこの津波の威力。

段々夕方になって薄暗くなってきて、
あたりは街灯もほとんどなく、ただただ暗くなってゆくんですが
遠くの方に明かりがぽつぽつと見えます。

道の駅やまだは、地元の特産品も売っていますが
普通の食料品も売っています。半分は地元のスーパー的
存在なのかもしれませんね。

キノコ類が非常においしそうでしたが、
さすがに今回の旅で生鮮品やかさばるものは買えない…。
しいたけとかビックリするくらい安かったので
欲しかったですが…。

次のバスが来るまでの時間、
道の駅の中で時間を潰すにも限界があるので
20分ほど外でぼーっと座っていたんですが、
ものすごく心細くなってきました…。

電車だと「ちゃんと来るだろう」と思うのに
バスだと「本当に来るんだろうか」という意識になってしまうのは
なぜだ。バスに失礼だな。

ちゃんと来ましたよ。

ここから宮古までまた一時間。

もうかなり暗くなってしまったので、
外の状況もほとんどわかりませんが…。

さっきのバスはほとんどが買い物帰りのおばちゃんでしたが
こちらは学生が多い。時間的なものかな。

18時頃、宮古駅前に到着。かなりの学生が途中で乗ってきましたが、
また途中で降りてゆくものかと思ったら、ほとんどの子が
駅前まで乗って来ました。またほかのバスに乗り換えて
帰ってゆくのでしょうか。田舎の通学は大変だな。

いや、自分も通学時間ということではあまりこの子達と
変わらなかったな…。むしろもっとかかってたか。

何とか確保できた宿にチェックイン。
どれくらいギリギリだったかというと、シングルが
取れなかったので「ツインデラックス」という
一番高い部屋しか取れなかったんですね。

僕にとっては半分が全くの無駄ですが、まあしょうがない。
この状況で二日前に宿が取れただけ御の字です。
これが無かったら盛岡まで行かなけりゃならなかった。

遅い時間なので、宮古を見てまわるのは当然明日。
とりあえず夕食。フロントのおねえさんに
近所のお店を聞いて、とある居酒屋へ。

宮古まで来たんですからもちろんサカナ。
ヒラメにイカに白子ポン酢。
一人で豪勢な夕食になってしまいました。
釜石の食堂もそうだったけど、イカが本当においしいなあ。
コレステロールがガッツリ増えそうな食事だ…。

宿に戻ったらもう疲れすぎて。

今回、行った町で何かできそうなことがあれば…と
思っていましたが、移動が多すぎてとても無理でした…。

とにかく、半年経った現状を見て、知らせて、
忘れないようにすること。

松島はカキの養殖棚が造り直されていましたし、
気仙沼でも漁船は結構停泊していました。

じきにまた三陸のおいしいものが食べられるように
なってくるはずです。ぜひ買って食べましょう。
できれば現地へ行って。

結局この日の写真は無いな…。

10/11 気仙沼~中尊寺

さて、帰ってきてから一日経って疲れも取れましたので、
二日目以降の日記を。ここからが今回の旅の本番。

最初は仙台から気仙沼へ向かいます。
本当は石巻に出たかったんですが、さすがに交通手段が
無いので仙台に戻って一泊してから、一ノ関経由で。

電車で行くつもりだったんですが、前の日に仙台駅から
ホテルまで歩いて行く途中に高速バスのターミナルがありまして、
バスもあるということが分かったので、
ちょうどいい時間があるようだったらバスの方がいいかなと。
何せ、バスなら乗り換えがないし。
あと、電車だと同じ路線を行き来することになるので
違う交通手段の方がいいかなと。

というわけで、朝6時起きで、宿の朝食を食べる。
ドーミーインはバイキングじゃなくて和定食ですね。
ビジネスホテルの朝食に関しては、チェーンじゃないところの
方がすごかったりしますね。

今まで泊まった中で一番は、宇都宮ニューイタヤと
青森センターホテルかな…どちらも凄まじいバイキングでした。
あれでどちらも安かったもんなあ。

7時前にはもうホテルを出てバスターミナルへ行ってみる。
ちょうど7:10に出発のバスがあったので、キップ買ってすぐ乗車。

結果的に今回は半分くらいバスに頼ることになりました。
もちろん津波で流されて電車が復旧していないことも
ありますが、元から電車よりバスの方が発達している
地域もあるんですね。

結局電車もディーゼルが多い上に山間部を通るところは
電車もバスも同じルートになるので、利用客が少ない
場合はバスの方が効率がいいんでしょうね。
渋滞もあまり無いでしょうし。

3時間くらいで気仙沼駅前着。
駅前はほとんど何もないんですね…。いやこれは震災関係なく。
おみやげ屋が一軒と、食堂が一軒、あと観光案内所。以上。

バッグを駅のロッカーに入れて歩き出す。
海岸までは歩いて15分くらい。そちらへ向かって行きます。
しばらくは、津波の爪あともほとんど見られなく、
そもそもここまで来たのかどうかがわからないくらい。

で、しばらく進んで、ある角を曲がったところから…
全く景色が変わりました…。

瓦礫は片付いたようですが、それ以外はほぼ「そのまま」。
人もまばら。ただ、自動車はかなり行き来していました。

自分の目でこういう現場を見るのは初めて。
やはり言葉を失います。
元に戻るのには一台どれだけの時間がかかるんでしょう。
そもそも、元に戻すのかどうかも…。

最初にたどり着いたのは観光線が発着する桟橋で、
当然観光船も休止中。

もっと先に進む。
漁をするための船はそこそこ停まっていました。
このあたりは、人の往来もそれなりにあります。

一軒、お魚市場という施設だけは営業していました。
海からすぐなのに建物が五体満足だったので、新たに
建てたんでしょうか?それほど全体が新しいようには
見えなかったんですが…。

あとは海沿いにはローソンが一軒、仮設店舗で営業していました。
この先も、旅の中で仮設店舗のローソンを何軒も見ました。
多分かなり重要な役目になっているでしょう。
コンビニはもはや社会インフラの一部ですから…。

しかし、今回の旅の中で見た仮設店舗で営業しているコンビニは
全てローソンでした。地域的なものか?

食堂もあったので何か食べようかとも思ったんですが
時間が早すぎました。もともと8:40くらいのバスに
乗ろうかと思っていたのが7:10に乗ってしまったので
早すぎるに決まってるんです。

30分くらい歩いて、駅前まで戻ります。
やっぱり、海から5分くらい歩くとそこからは建物が平気な
ように見えます。

3時間くらい滞在するつもりだったんですが、
よく考えたら町を見る以外にできることがないので
そんなに時間は必要なく…。

昼ごはん食べようかと思ったんですが
駅前の食堂以外に営業しているように見える飲食店が
なかったのでそちらへ。

普通にラーメンやら定食やらの店。
「気仙沼ラーメン」というメニューがあったので、
こちらを頼んでみました。

普通のしょうゆラーメンに、つみれが2つ。
結構おいしかった。ボリュームは少なめだったので
おにぎりも食べて。

食べ終わっても次の電車までに少し時間があったので
おみやげ屋さんに入って、店員のおばちゃんに
少しお話を聞きました。

そうしたら、海から5分ほど歩いたところより駅側は
何もなかったように見えましたが、そちらも津波には襲われていた
ということでした。残っている建物も一階部分はほぼ
浸水したようです。
まあその割には、今見る分にはそんな形跡は
どの建物もほとんど残っていません。
片付けたり清掃したりするのにかなり手間が
かかったことでしょう…。

沢山の人が今でも仮設に住んでいますし
暮らしも厳しいということです。
最近はあまりこういう部分を報道しなくなってきて
いるような気がします。

やはり、自分の目で見て、それを
こうやって伝えて皆が忘れないようにしないと
いけませんよね。
それが今回の旅の目的。

みんなも、三陸はまだ時間がかかることを
忘れないでください。そして
寄付したり、三陸のものを買ったりしてあげてください。

ちょっと買い物して、
大船渡線で一ノ関に戻ります。
気仙沼から釜石までバスで行けなくはないんですが
時間的に厳しいのと、釜石で宿が取れなかったのとで
一ノ関へ。

滞在時間が短かったので、一ノ関に着いても
まだ14時前。いくらなんでもあと半日宿でグータラするのも。

ということで、平泉に行って金色堂を見ることにしました。
電車の時刻表的に現地で2時間弱くらいしか居られませんが
まあ十分かなと。

一ノ関~平泉は電車で二駅。時間的にも10分かかりません。
駅から金色堂までは少し歩くんですが、バスが
あるからいいかなと思っていたら自分の目の前でバスが
行ってしまいました(;_;)。次のバスは一時間後。

まあ2km弱なので歩きます。大した距離じゃない。
途中の並木には、必ず一本に一つ蜘蛛の巣が。
そしてどれにも結構立派なジョロウグモちゃんが。
かならず木一本に一匹。決まりでもあるのか。

15分くらい歩いたら中尊寺に着きました。
ただ、境内がまた広い!!そして行きはずっと登り。

世界遺産が決まったからでしょうか、
平日なのに人たくさん。

本堂はかなり大きくて立派です。

金色堂は、別の建物で完全に覆われています。
そして、覆いの建物の中は撮影禁止なので
残念ながら写真はありません。

確かに建物の全てのパーツが金箔で
覆われて、建物自体はそれほど大きくはないですが
なかなかの壮観です。
そして、金色堂には奥州藤原4代の遺体が
収められているんですね。もちろん見られませんけど。

他にも様々なお堂があったり博物館があったりして
全部見たら時間ギリギリ。
バスがまたちょうどいい時間に来なかったので
タクシーで駅まで戻りました。
クルマだとほんの3~4分。

一ノ関に戻って、宿にチェックイン。
これもじゃらんで最後の一部屋だったんですよね…。
本当に綱渡りな旅だ。

駅前を一回りして、「番屋」というよさげな
居酒屋を見つけましたのでこちらで夕食。

なんとホッピーがある!もちろん注文。
でも、関東以外でホッピー頼むと必ず一般販売用の瓶
(黄色の紙ラベルが貼ってあるやつ)なんですよね~。
今のところ業務用ホッピーの瓶が出てくる北限は草津だな。

ホッキのサシミとサンマ塩焼きをいただきました。
このサンマが…!!!!
こんなおいしいサンマの塩焼き生まれて初めて食べたかもしれない。
脂が乗ってて、焼き加減も絶妙。
何気なく頼みましたが、ただのサンマでここまで感動するとは。
ちょうど一番いいときらしいです。

個人的にはサンマはサシミより塩焼きだなあ。

カウンターで飲んでいたんですが、隣のおばちゃん、さらに
その隣のおにいさんとお話しまして。

そしたら、おばちゃんは昔巣鴨で働いていたことも
あったって。何と。

何か東京のことよく知っているし、こっちはホッピー飲んでるし
あまり岩手まで来たという感覚はありませんでしたが
楽しい時間でした。

2時間ほど飲んで、コンビニ寄って宿に戻って
この日はおしまい。