何もかもみななつかしい((C)ニット帽の描いた漫画のどれか)

伊集院全部聞いてしまった…これもそれも晩ご飯食べた後一眠りしてしまったのが悪い。

最後に「もはや『懐かしい』という言葉はアナログだけをさすのではなくて、デジタルでも懐かしいものがある」という話題でしたが、確かになあ。自分自身のインターネット史を考えてみても
●1995年頃は、ASAHI-NETのパソコン通信経由でテキストだけのWWWを見ていました(笑)。初期のYAHOOのあまりの使え無さがあっていまだにYAHOOが信用できない(笑)
●まだPC-9801BA3を使っていて(PentiumODPのせてたぞ!)、Windows95よりDOSで使っている時間の方が長かったのでそんなことになっていたんですが、ついでにTEENというDOSで動くTCP/IPスタックを使ってテキストベースのWWWも見ていましたなあ。まだ続いてるのね…。すごい
●検索エンジンはAltaVistaとGooをよく使っていましたなあ。あと早稲田が開発してたなんだっけか(検索したら「千里眼」だった。何かそんな名前だった気がする)
●MSがIE2.0というゴミを販売していた(95Plus付属でしたっけ?)。というかWEBブラウザというものは有料で販売しているものだった(あ、でも最近でもZero3用のNetFrontは金出して買いましたわい)
●初めてHP作ったのが1998年?最初の頃は結構気合い入れてましたがもう誰も覚えてないし知らない(笑)。幸いWayback Machineでもひっかからないからもう見つける手段は無いだろう(笑)
●やたらとプロバイダを変えまくっていた(笑)。しょっちゅうメールアドレス変更のメールを知り合いに出していて呆れられていた(ドルフィンインターネットでようやく落ち着いた。今はCATVですが)
●テレホは3分前につないでいた(PCはつけっぱなしで、22:57?8:00で自動接続自動切断するフリーソフトを使っていた)。56Kモデムでも、一晩がんばれば150MBは落とせましたな(笑)。

色々ありましたなあ。まだこれから死ぬまで色々あるんだろうなあ…。まだ自分はそれが楽しい。新しく出てくるものの洪水が楽しくなくなってしまわないように人生を過ごしたいもんです。40代とかで新しいものに対する興味を失ってしまったような人間を見るともう本当にガッカリします。特にコンピュータやらインターネットに関わる仕事をしている人間は、「ここまで覚えればいい」ってものが一切ありません。自分が100歳まで生きたとしたって100歳の時点のものはまだまだ進化の余地があるものでしょう。新しいものについてゆく、新しいものを(仕事にせまられたからではなく)自分の意志で追いかけ続けてゆく覚悟が無いとこの業界の仕事は一切つとまらんと思います。つーかそんな覚悟は中々できないでしょうから、僕のようにほっといても好きで追いかけてゆくような人間で無いと駄目かと(笑)。

この先資源は枯渇してゆくんでしょうし、「ガンダム00」みたいにすんばらしい代替エネルギーが開発されるとは限りませんが、コンピュータとネットワークと、それらが生みだしてため込んでゆく情報だけは消えないで欲しい。

例えば「WEB2.0」という言葉にしたって、僕の解釈できる限りでは、一言で言えば「データベースが一番重要なんだ」という事でしょう。そりゃそうです。データベースという考え方をしなくたって、例えば一人のパソコン一台を取ってみたって、とりあえずハードディスク(もしくはそれに相当する補助記憶装置な)が生きてさえいれば後はどんなパーツが壊れたってどうにかなるんです(大昔のコンピュータでハードウェアが入手できない場合でも、データが残っていればエミュレータなどで動かせる可能性は残りますし)。一人一人の作り上げた情報だけは消えてしまったらどうにもならん。そして、一人一人の持つ情報の莫大な集合体に価値があるという考え方が「WEB2.0」でしょう。(確か元の論文にも書いてあったと思いますが)「コンピュータはハードウェアだ」という時代があり、「コンピュータはソフトウェアだ」という時代があり、そして現在は「コンピュータはデータベースだ」という時代。結局はコンピュータという道具を使って人間が何を作り上げるのかが重要だということです。

なんか真面目な文になってしまった上に、どんどん論点がズレていきますね。自分の悪いクセ(泣)。でもせっかくなのでこのまま…

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